イラク戦争中の数年間に、四度戦地へ赴き、百六十人もの “敵” を射殺し、英雄と讃えられた 〔アメリカの狙撃手〕 の物語。
目新しい題材ではない。
例えば 〔タクシードライバー〕。
例えば 〔ディア・ハンター〕。
例えば 〔フルメタル・ジャケット〕。
戦争は、肉体的にも、精神的にも、人を破壊するのだということを、映画はいつでも訴えてきた。それでも人類は戦争を繰り返し、映画監督はその愚をフィルムに刻み続ける。
いまは不穏な時代で、この日本においても、来るべき戦争への “備え” や “覚悟” が問われている。
戦争と平和について考え、議論し、理解を深めてゆくこと自体は悪いことではないけれど、気になるのは、いま、国会で憲法をいじくりまわそうとしている、あの人たちのことだ。
いざ戦争がはじまれば、兵隊として戦場に赴くことになるのは、僕や、僕の周りにいる普通の人びとである。
僕や、僕の周りにいる普通の人びとの多くは、戦場において、殺し、殺されるという過酷な状況に堪え得るほどの、強い精神力を持っているわけではない。
〔積極的平和主義〕 などと言えば聞こえはいいけれど、戦場という異常な環境が、普通の人びとの肉体と精神にどのような影響を及ぼすのか、ということについてまで、きちんと考えが及んでいるのか、どうか。
味方からは 「伝説」、敵からは 「悪魔」 と呼ばれたこの映画の主人公もまた、本来は、妻と二人の子どもを愛した “普通の人” であった。
そして、そのような普通の人びとが送り込まれる戦場に、“あの人たち” 自身が行くことは、決して、ない。