言いたかァないが、毎日、暑い。
部屋の掃除、洗濯、アイロンがけなど、いつもの家事を汗だくになりながら済ませ、あとは家でぐったりしている。
特に書くこともないので、何の脈絡もないが、民主党の代表選について、少々。
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新聞各社の世論調査によれば、小沢一郎の不支持率が極めて高い。こんなにも皆から愛されていないということが大々的に公表されてしまったら、僕だったら悲しくて情けなくて、とても生きていけないと思うほどの不人気ぶりだ。ちょっとしたイジメのように見えなくもないが、まあ、それはともかく…
面白いのは、“識者” と呼ばれる人たちが、『小沢一郎は選挙に強いから…』 と口をそろえて言っていることだ。
世論調査の結果だけを無条件で信用するわけにはいかないが、話半分に聞いたとしても、決して 『支持されている』 と言える状況ではない。にもかかわらず、『選挙に強いから』 小沢一郎は勝つ可能性があるというのだ。
本当だろうか?
だとすれば、『選挙に強い』 という、この言葉の意味するところは、『民意を反映していない候補者を当選させる力を持っている人』 ということになりはしないか。そんな物騒な “力” を持っている人間に、権力を委ねてしまって本当にいいのだろうか。
もちろん、選挙はただの人気投票ではないし、その “豪腕” が、停滞した日本の政治経済を動かしてくれることに期待を寄せる人も少なからずいるだろう。
それでもやはり、これだけ多くの国民から NO を突きつけられている人物がなぜ? という思いは拭えない。多数決の原理は、もっと明朗であってほしい。
選挙を通じて選ばれた民意の代表者が、じつは、ひとりの “選挙巧者” による工作の結果によるものだとしたら…
僕には、この 『選挙に強い小沢一郎』 というキャッチフレーズが、いまのニッポンの政治のゆがみを象徴しているような気がして、妙に引っかかるのだ。
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…だからどうしたと聞かれても困る。ぼんやりとそんなことを思ったまで。
そもそも、民主党員でもサポーターでもない僕には投票権もないし、最近の政局には、ワイドショー的興味以上のものもない。
過去二十年、政治が僕の生活に影響を与えたことなど、皆無といっていい。
僕の生活は、二十年前からさほど変わってはおらず、良く言えば “安定”、悪く言えば “停滞” している。これは政治のせいではなくて、僕自身のせいだ。
頑張って、もう少し贅沢な生活をしてみたいと思わないでもないが、頑張らないで、このままのんべんだらりと暮らしてゆければ… とも思っている。
一日一本の缶ビールを飲める生活を維持するのも、これでなかなか大変なのだが。