エルマンノ・オルミ監督の 〔木靴の樹〕 が、リバイバル上映されるというので、岩波ホールまで出向く。
この映画をスクリーンで観るのは、二度目になる。はじめて観たのは学生の頃で、確か、日比谷のシャンテだったと思う。その時以来、じつに二十六年ぶりの再映だそうだ。
二十六年!
ということは、僕が学生だったのは、もう、四半世紀も前になるのか・・・
ま、そんな感慨はさておき。
映画の舞台は、19世紀末の北イタリアの寒村。
四季折々の風景は絵画のように美しいが、そこに暮らす農民たちは、貧しい生活を強いられている。住む家も、家畜も、農耕具も、耕すべき畑も、すべて地主の持ち物であり、道端に生えている雑木一本、彼らの自由にはならない。
そのことが 〔木靴の樹〕 というタイトルとも深く関係してくることになるのだが、そこに至る物語を、オルミ監督は、ドラマチックに盛り上げるようなことはしない。
農民たちのつましい生活の様子が、終始淡々と描かれるだけである。
もっともそれは、映画を観ている観客にとって、わぁーッと盛り上がるような演出がない、という意味であって、映画の中の登場人物たちにとってみれば、日々さまざまな “事件” が起きている。
子どもが学校へ通うことになった。仔馬が生まれた。老牛が病気になった。金貨を拾った。拾った金貨をまた失くした。若い二人が結婚した。トマトの実が生った。
けっしてドラマチックではないけれど、この映画には、日々の営みの中で人が体験し得る喜びと悲しみが、たくさん詰まっている。
ここに描かれていることが、人間の生活のすべて、という気すらしてくる。
かつて黒澤明は 〔乱〕 の製作に際し、人の世の営みを 「天の視点から撮る」 と豪語したが、この 〔木靴の樹〕 にも、僕は、オルミの 「天の視点」 を感じるのだ。
*
上映時間187分。11時から始まった映画が終わったのは、2時を過ぎていた。
遅めの昼飯を 〔ランチョン〕 で。
ポテトサラダで生ビール (小) を二杯飲んでから、マカロニグラタン。
晴れたし、滅多に来ない神保町なので、すこし古書店街をぶらついてみる。
ドナルド・リチー 〔黒澤明の映画〕 とか、江國滋 〔落語無学〕 とか、〔夕陽のガンマン〕 のパンフレットとか、ちょっと欲しいなと思うものはあったけど、買わずに、帰る。